(旧)週間買った本

2013年まではてなダイアリーに書いたもの。

あしたのために

とり・みきの『犬家の一族』ISBN:4198330816 には「あしたのために」という(かなり興味深い)自伝マンガがある。最初その題名を読んで「あしたのために、ねえ。なんかのフレーズっぽいなあ」と思ったりしていてしまっていたのだが、当然ながら『あしたのジョー』なのだった。ちっちゃい頃に映画版を見ただけで、本で読んでいなかったためである。初めて頭から読み始めたのだが、ごくごく単純に言っておもしろいしよく出来ている。もしその評価(NO.1のマンガは?といった無茶な調査のトップになるとか)をまったく知らなかったら、間違いなく虜になる作品だろう。
少し当時の受け止め方を考えると、熱狂的に「支持された」マンガだったというのが正しい表現だと思う。それは単に「熱中した」とか「夢中になって読んだ」「虜になった」「ハマった」等々のこととは違う。「支持する」というのは政治的な含みを持つ行為で、政治家やイデオロギーと関係なくそうである。実際にどういうことかと言えば、例えば、これは絶対面白いと言って他人に読むことを強要する、とか、どのようにいいかということをくどくど述べ続けるとか、雑誌にハガキを送るとかである。もちろんその主張は作品が面白いことによって説得力を持つわけだから、支持されることと作品の質とは相関関係がある。たまたま「COM」1970年4月号の記事「力石徹追悼会開催か?」などを見たりしたのだが、そういう支持の仕方は非常に遠くになってしまった。
蛇足だが、その記事や愛蔵版の梶原一騎の話などを読むと、力石のファンが多かった、愛されたから追悼会が行われた、というわけではないことがわかる。寺山修二と天井桟敷が企画したという時点で当然かもしれないが、まず彼らが行ったイベント、パフォーマンスの一つとして捉えるというのが正当だと思う。熱狂的なファンが自然発生的に会を開いた、というように理解するのは間違いだろう。
ところで、なぜ支持されたかと言えば、作品がよくできているという他に、「共感を呼び支持された」という点が興味深い。特にストーリーによるのではない要素、共感を呼んだと思われる設定などには、時代状況が露わになっていると思う。
あしたのジョー(1) ISBN:406334701X