(旧)週間買った本

2013年まではてなダイアリーに書いたもの。

『挟み撃ち』 後藤明生

何が「挟み撃」たれているのか?
最後まで読むと、形式的に挟み撃ちがあることがわかる。問題は次からで、個人の内面において挟み撃たれているものは何かという問いに進むことも可能だし、思想的に挟み撃たれているものを問うこともできる。さらに現代の立場から、文学史的に小説の技法、方法論としてなぞらえる事もできよう。それらは読みのレベルを異にしており、どれがいい悪いというものではないだろう。ただこの小説から要請されている行為があり、それを中心にするのが少しでも正しい批評の方向であるとするなら……
私は主人公と同様に自分に問いかけたりしていた。たとえば「あの時わたしは本当に何をしていただろうか」という問いに、ただひたすら応じてみたり、ということなどで、私の話はともかく、この小説に非常に惹きつけられた人間に、そうした行為が要請されたということは言えるだろう。もっともそれは、好きな小説の主人公と自己の同一化を図る馴染みの行為のようでもある。私がこの小説を好きなのは明らかだし、どうも好きであるゆえに色々なことを言おうと無理をしているようである。ただ、この主人公が真剣に向き合おうとした事に、自分も向き合うべきと思ったのだった。それがこの作品の力によるものであることは間違いない。