(旧)週間買った本

2013年まではてなダイアリーに書いたもの。

東京大学「80年代地下文化論」講義

東京大学「80年代地下文化論」講義

本の全体的な主旨からは微妙にそれるのだが、「かっこいい」とは何かというような問いが提示される場に、狭義の美学をやっている人間が出てこないのは非常に残念である。美しいとはどういうことか、芸術とはどんなものかという問いについて学んだ、あるいは訓練した人間ならば、「かっこいい」について考える道筋を容易にあるいは多様に見つけられるはずである。それを教える美学、もしくは哲学の教師の責任はともかく、最初の問いはこの講義では、80年代の「かっこいい」という感性を伝えるのを目的としてるので、次のような答え方になる。
「かっこいい」は「AよりBがかっこいい」というようなある種の差異を示すものだから、当時の「かっこ悪い」ものを複数示してその中で「かっこいい」ものがこれだった、という形をいくつか作れば、当時の「かっこいい」とは何かを伝えられるのではないか。
著者は「かっこいい」の本質を明らかにしたいのではないのだから、はっきりいうとその仕方でしか当時の「かっこいい」を伝える方法はないし、著者も実際それを実践しているのだが、方法として明確にされていない。また誰も指摘しない。「それのどこが他に比べてかっこよかったんでしょうか?」という一見胡乱な質問がありさえすれば、著者は当時の「かっこいい」をよりはっきりさせられたのではないか。
この本で決定的にかけているのは地方の視点である。はたして80年代に東京のほかで「かっこいい」ものは生まれていなかったのか?現在よりも明らかに地域差が大きかった当時、東京しか「かっこいい」ものは存在しなかったのか?もし存在しなかったら(東京以外のものは「かっこいい」以外の表現をすべきだとしたら)余計に、当時の「かっこいい」は東京の「かっこいい」であった、と強調されなければならないし、そうでないなら東京がすべてであるように言ってはならない。