(旧)週間買った本

2013年まではてなダイアリーに書いたもの。

『異国伝』佐藤哲也 ISBN:4309015794

フィクションを読んで驚くことは少なくなったが、佐藤哲也の短編はいつもと言っていいほど驚きがある。『ぬかるんでから』では色々なところで驚かされた。この書き下ろしの作品は形式が一定である分、語り方に驚かされることはないかと思いきや、さにあらず。まだ「さ」までしか読んでないのでメモのようなものだが、述べておきたい。
「愛情の代価」から「ンダギの民」まで、50音で始まる題を持つ45の短い物語は、「その昔…」で始まるからといって民話や神話ふうの話とは限らない。「掘削の技術」の終盤にはこんな叙述がある。
公共事業の告示があり、入札がおこなわれ、そして不正が暴かれた。(p48)
結局この一文に驚いたわけだが、とりあえず、三つの文が当然のように繋げられているということがその一因だと言える(ちなみに前の文は「雇用対策が検討された」で終わっている)。そもそも公共事業の施工者が入札で決定されるのは別に必然ではない。さらに入札に何らかの不正が行われ且つそれが暴かれるのは自然なことだといえるだろうか。これはフィクションなのである。しかし現実を見る限り、この叙述の論理は至って普通である。公共事業は入札だし、昔ほどではないにしろ入札には不正が付きまとう。ということは純然たるフィクションに生々しい現実の論理が介入していることが驚きの原因であることになるだろうか。それは一部否定できないのだが、そうした寓話的・風刺的なありふれた手法によって驚かされるというより、逆に、そうした現実の論理が混ざりこんでいてもおかしくないような物語の中で、この叙述が強烈に作用しているので驚かされた、というほうがあっているようだ。
そうするとつまりは物語がよくできているのに感心している、ということになるだろう。もっとも「威光の小道」の
…軍事行動に要する資金には第三国の外貨建て抵当証券を対象とする元利分離型金融派生商品を紹介し…(p15)
は同様の表現だが、前述の物語とテイストが違う(きれいなオチがある)とはいえ、前述の叙述ほど驚かないし、さらにいえばしっくりこないように思う。まあこの叙述の意味する胡散臭さが私にはピンときていないためかもしれないが。